ごちゃまぜで大丈夫。 -2ページ目

言葉にやどるパワー

私が辛いとき、悲しいとき、困ってるとき、常に周りにいるたくさんの人からいつもたくさんの温かい言葉をもらっている。

いや、違うな。。
それだけじゃない。

言葉と一緒に愛や勇気をもらってる。

… うーん。
これも違うな。
どっかの「地球を救っちゃう」系の番組だ。。
文字にするとすごくチープに聞こえちゃうな。

とにかく私はその人たちの発するもので、どれだけ支えられ、救われているかわからない。

でも例のごとく残念ながら私はお馬鹿さんだから、今までもたくさんの言葉をもらっているけど、たいがい覚えてない(‐‐;)

 うわ、最低ー!
 こいつに何言っても価値ねーな。。
 … そう想って引いていったそこの貴方!カムバック!!

 ありがたいっていう感謝の気持ちと温もりはちゃんと心に残ってるのよ。
 ただ文字がおつむに残ってないだけ。(言い訳三昧。)

 えへ☆


… っと、いうことでこれではいけないと思い「心のノート」を作ることにした。
周りの人からもらった大切な言葉を書きとめて、なくさないようにしようと思う。

私がこっちに帰ってくる時、ある方からたくさんの言葉をいただいた。
いろんなことに疲れ果て、ヨレヨレになった私へのメッセージがたくさんつまったノートを「辛くなったら、道に迷ったら見るのよ。」って。
そのノートにももちろん感動したけど、人のためにこれだけできる彼女自身にもとても感動した。
そのノートには明らかに文字や言葉だけでなく、目に見えないすごいパワーが宿っている。
泣けました。

「心のノート」についても私が考え出したかのように書いてるけど、実はノートをくれた彼女からの提案なのです。

そう。
どうせこいつはすぐ忘れるなってことも彼女にはお見通しなわけ。(苦笑)
そのときは治まっても、そのうちまた訳わかんなくなって苦しむ私をわかってくれてる。
こんなお馬鹿さんな私でも許してくれてるのです。
 

私ってなんだかんだ言って幸せものなのよね。
こんなに素敵な人たちに囲まれて生きているのだもの。
どんな状況にあっても、最終的には
「それでもやっぱり私は幸せものだ!」
そう思わせてくれるのです。
あぁ、私の大切な人たちに感謝!!
そして前世の私万歳!←11月26日blog参照。(笑)


と、いうことで「心のノート」作成中。
大切な人たちの大切な言葉がもう迷子になりませんように。
そして私の心が迷子になりませんように。

ヒーリング

先日鍼灸院に行ってきた。
と、言ってもチクッと針を刺すやつではなく、なんていうのかなー。。
つぼを撫でて刺激する感じのもので、建物も鍼灸院というよりはエステサロンって感じで素敵なところだった。
アロマセラピーもとりいれていて、フットバスやアロマオイルでのマッサージ、藻草のお灸、最後はハーブティーも入れてくれたり、ほんと鍼灸院のイメージが変わりました!

私の鍼灸院のイメージ(笑)
→70歳以上と思われるおじいさんが手を震わせながら、微妙なタッチで針をトントン体に刺していく。全身ハリネズミのようになり、時に震える手でその針をむやみにグリグリ回したりしてより刺激を与える。。みたいな。。


えー、そんなんで効くの?!
って思うでしょ?
これがなかなかのものでして。
友達の紹介で行ったのだけど、友達は針の後涙がいきなり止まらなくなったり、高熱を出したり、藻みたいなウンチが出たり、えらい事になったそう。
でもそれは異常ではなく、体の毒を排出してるんだって。だから効いてる証拠らしい。
西洋医学は薬に頼って化学的に治療を施すって感じだけど、東洋医学が基礎の針は人間の本来持っている免疫力や自己治癒力を高めましょう。って感じの考え方らしい。

針の先生も素敵な女性で、「心と体のリセットをしましょうね。」とやさしく微笑み、いろんな話をしながらおっしゃるとおり、心も体もケアしてくれるのです。
この人は女神か?と思うほど穏やかで温かいオーラを放つ魅力的な方でした。
ええ、惚れましたとも。(笑)
私もあんな人になりたいなーと思いました。

私の毒はいつ出るのかそれもちょっと楽しみ。
若いのにとても体が疲れているのね。。と、先生にも言われたし。
相当毒が体に溜まっているはず(苦笑)。

毎日ドキドキして待ってるのです。
♪何が出るかな 何が出るかな チャチャチャチャンチャン チャラララン♪

言わない罪×聞かない罪

実家に帰ってきた。

空港までは友達が送っていってくれることになっていた。
けれど、それを旦那に言うと「俺が送っていこうと思っていたのに」と言われた。
「聞いてないし。」
「友達のほうを断れ。」
「もう約束したし。」
…… 。

こんなやり取りがしばらく続き、結局友達を断って旦那に送ってもらうことになった。
よりによって今日は天候不良でダイヤが乱れている。
出発時間が2時間も遅れたのだ。
こんなに長く旦那と一緒にいたのはいつぶりだろう。。

最近はいわゆる「家庭内別居」というやつだった。
同居していてもほとんど顔をあわせることがなかった。共有するのは入れ物(家)だけ。
それ以外の時間も、空気も、喜びも、悲しみもみんな別々。
なのに、思わぬハプニングにより今日は2時間以上もみっちり同じ時間をすごすことになってしまったのだ。

……。 
(ひたすら沈黙)
「もう帰っていいよ。」
「いや、まだいる。」
「ほんとにいいから。」
「いや、見送る。」
……。(はじめに戻る)

こんなことを永遠繰り返していた。
いつからこんな風になったんだろう。
窒息しそう。。

結局2時間以上もいて、それ以外で話したことと言えば
「元気でね。」
「そっちもね。」
ぐらいのものだった。

私がどのくらいの期間実家にいるつもりなのか、いつ帰ってくるのか、それさえも旦那は聞かない。
私も言わない。


昔はよく旦那とは一日にあったことや今後の予定、今感じていることやこれからの夢などいろんなことを話したものだった。
本当によく話した。

自分のことを言い、相手のことも聞く。
お互いのことをよく知っているのが当たり前で、入れ物(家)だけじゃなくて中身の時間も、空気も、喜びも、悲しみも、みんな共有していた。
少なくても共有していると思っていた。

いつからこんな風になってしまったのだろう。
どうしてこんなことが気になるんだろう。
どうして涙が出るんだろう。

私は自分と向き合うために実家帰ってきた。
いつ帰るかは未定。

心のサプリ

私は落ち込むたびに本屋に出かける。
心のサプリを探しに出かけるのだ。
何か本の中にきっと私の弱りきった「心の栄養素」があるはず!と思っている。
極めて他力本願だけれど、まんざら間違ってない。

私には途方もなく高く思えた壁も、らくらくヒョイと飛び越える人も意外と多い。
私より賢い人はたくさんいるものだ。(そりゃそうだ。)

ここ何年か前から、その類のいろんな本が出ている。
自分が好きになる方法やポジティブシンキングになるためには…とか、発想の転換の方法や勝ち組みになるためには…など、事細かに実践方法を記載しているHow to本的なものも少なくない。
本当にたくさんの種類の本があるけれど、私はもう少しユルユルな感じのものが好き。

私の好きな本の一つにブラッドリー・トレバー・グリーヴの「The blue day book」という本がある。
写真集のような本で、言葉は1ページにほんの一行程度。
でもこの1ページ1ページの写真が言葉以上の何かを訴えかけてくる。
一時期TV等でも紹介されていて、その頃私も買って写真がとても素敵だったので、部屋にインテリアとして飾っていたのだった。
私のことだ。すっかり忘れていた。

久しぶりに読み返すとやっぱり笑える。
笑える本なのです。

なんか悩んでるのがバカらしいな。。なんて、思えてくる。
そんな元気になるサプリメントがぎっしりの本。
全部読み終えると
「I think so too!」
そう言えるようになる本なのです。
つまるところ、人生とはそういうもの。

心もお肌も乾燥してカサカサになるこの季節。
私の中にスーッとしみこんでプリップリに復活させてくれるそんな心のサプリの一つなのです。

父×私×旦那

私は結婚している。
結婚してしまったのだ。
でも、今は離婚したいと思っている。
理由はいろいろ。
いろんなことの積み重ねで、とにかく、これからの長い人生一緒にいるのが幸せとは思えなくなってしまった。

先日ある友達にこう言われた。
「○○(私の名前)は早くに親元はなれたから、旦那に親的なものを求めてるところがあったんじゃない?」
……
ピンポーン!
そう。
ある意味当たってる。
でもそんなこと話したこともない友達に指摘されて、正直驚いた。
でもそうなのです。

私は小さい頃、親子関係をうまく築くことができなかった。
特に父親とは。
父親も当時まだ若かったし、いろんな物が欠けている人だった。
私は実際子供の頃、意味もなくボコボコにされて、本気で「父親に殺される」と恐怖でガタガタ震えて涙さえ出ない夜を何度も過ごした。
だけどその分人一倍、父親に愛されたいという欲求は強かった。
子供はどんな目にあっても、親の愛情を求めるものなのだと思う。

そして私はどんな形でも愛されれば幸せだと思ってた。
だから、それがいけないことだと幼心になんとなくわかっていたけど、父親の腕に抱かれているとき「このまま死んでもいい」と思うぐらい幸せだった。
性的虐待?
そう言うのかもしれない。
でも私にとっては唯一愛情を感じられる幸せな瞬間だった。

そんなこともあってか私の恋愛の形は歪んでしまったのだ。
付き合う男にはいつも父親の影を探していた。
旦那にもそう。
私は父親にして欲しかったこと全部を旦那に求めた。
私にとって旦那の人格なんていらなかった。
私が欲しかったのはあの頃の父親の愛情。
私は見かけはなんとなく大人だけど、中身は父の愛情を求めて傷つき泣いていたあの頃の小さなアタシのままだったのだ。

旦那はそんなこととはまったく気づいていないだろうけど、こんな関係がうまくいくわけがない。
旦那は旦那なんだから。

年々旦那との関係がうまくいかなくなっていった。
もちろん、このことが別れる方向に進んだ理由ではない。
もっともっと複雑。お互いいろんなことがあって、いろんなことの積み重ねで、お互い疲れ果ててしまったのだと思う。

でも少なくとも私は結婚の意味をわかっていなかった。
私が求めていたのは「夫」ではなく「父親」だった。
今までのことを振り返っているうちにそれに気づいた。
気づいてしまったのだ。

旦那を旦那として見ることができるようになった今、お互いのために別れることが最善だと思う。

そして私の中の小さなアタシにもサヨナラしなくちゃいけないと思う。

大切な人を大切に。

♪時を越えて君を愛せるか
 本当に君を守れるか
 空を見て考えてた
 君のために今何ができるか…

この歌を知ってますか?
そう。某生命保険会社のCMで素敵な写真たちと一緒に流れている小田和正さんの曲。
残念ながらCM用に書き下ろされたもので、CD化は未定みたい。

初めて聞いたときからガツンと私の心を掴んで放さなかったこの曲。
素敵だと思わなーい??
こんな風にちゃんと人と向き合って大切に想うことができる人になりたいと思う。それにこんな風に愛されたら幸せだよね。

私には幸せなことに、大切な人がたくさんいる。
そしてその人たちにとっても大切にされている。

でも大切な人をちゃんと大切にするってすごく難しい。
すごく大切にされてるのに、なかなか大切にしてあげられない。
そしていつも悲しい気持ちになる。
「何かしようと思わなくていいんだよ」「あなたの徳よ」なんて、その人たちは言ってくれる。
いやいや違うのよ。。
そんなに優しくされるとさらに胸が痛んだりして。

大切な人の一人にこんなことも言われた。
「今周りの人に大切にしてもらえるのは、前世で良い事いっぱいしてきたからなんだって。」って。

前世の私万歳!
よくやってくれた。
来世の私、ごめん。
今から謝っておきます(><)

そんな風に言ってくれると、ちょっと気が楽になったりして。
そうやって結局たくさんの人に支えられながら今を生きてる私です。

来世の私、ホントごめん。

5年日記

昨日は「大人のドリル」について書きましたが、私にはもう一つ続けていることがあります。
それが5年日記。
5年日記の他にも、3年とか10年ていうのもあるよね。
「ちゃんと書いていさえすれば、2年目以降は去年の自分が何してたかわかって面白いよ。」と、知り合いに勧められたのがきっかけ。

私は恐ろしいほど過去のことを忘れていくので、この日記を脳みそ代わりにしよう!という魂胆。
周りの友達や家族のほうが私の過去によっぽど詳しいのよね。。
それに、お婆ちゃんになってから「私ったら、若かったわね。」なんて、回想したりして老後に楽しみたいという密かな思いもあり。

去年の1月から「やるぞー!!」って張り切って始めてみたのです。
、、、が!
案の定、今年で2年目なのにどのページも白いこと白いこと ~~;
母にも去年プレゼントして一緒に始めたのだけど、母は今まで1日も逃すことなく書き続けているらしい。っていうか、今となっては強迫観念に駆り立てられて「書かねばー!」って感じで精神的に追い詰められつつ書いてるらしい。(笑)そんな本気で日記に追い詰められている母が好きなんだけどね。

私の当面の目標は、5年かかって365日全部埋めること。
目標低っ!
でも、いいのいいの。
私のことだから、お婆ちゃんになったとき、どうせ「こんないっぱい書いてあったら、読む気しないし。」とか思うんだから(笑)。

でもこの日記のことで、ふと不安になることもある。
思いがけず不慮の事故かなんかでこの世にサヨナラしなきゃならなくなったとき、この日記は誰の手に渡るんだろうかと。。

ヤバイ。
それはかなりヤバイ!
ロクなこと書いてないもん。

お葬式のときなんかに「故人を偲んで日記よりご紹介します…」なんてことになったら、死んでも死にきれーん!!
でもそう考えると、逆に病の床に伏せたとき「この日記を処分するまでは何が何でも死ねない!」って、生きる力につながったりして(笑)。

ま、何はともあれ、今は当面の目標に向かって5年日記書き続けたいと思います。
この日記とともに生きるのだ☆